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有名人物

金海城を守った四忠臣

四忠臣の神神しい死は、日本の朝鮮王朝出兵(以下、「壬乱」)に抵抗する義兵発起の手本ともなり、毎年、サ・チュンシンが殉国した旧暦4月20日に祠忠壇で彼らを称える祭礼をあげている。

ソン・ビン : ソン・ビンは朝鮮王朝中宗の時の節制使を務めたソン・チャンの息子でジニョン・ハギェ里で生まれ、幼い時から神童と言われた。冷静沈着な性分で孝誠を極めたと言う。壬乱の時は金海城の南門の将として、すぐれた知略で倭軍を退ける見事な戦いぶりだった。

イ・デヒョン : イ・デヒョンは金海市ファルチォンで生まれた。その学識と人柄は村に広く知られたが官職には就かず、ただ学問にだけ専念した。壬乱の時、金海城の北門を守って壮烈に戦死した。

キ厶・ドゥッキ : キ厶・ドゥッキは金海市・ウェ洞・コイン里で、五代続けて男子が一人しか生まれなかった家に生まれた。 早く武科に合格したが党派争いにうんざりし、官職を捨て静かに故郷に下って学問をするようになった。 壬辰の乱が発生すると金海城に駆け付けて東門を守り、幾多の倭軍を打ち破った。

リュ・シク : リュ・シクはデドン面・マサン部落で生まれた。高学で官職に就くことができたにもかかわらず、学問の道を選んだ。そんな中、壬乱が起きると金海城に駆け付けて西門を守り、壮烈な戦いの中に殉節した。

グォン・タク将軍 : 壬乱の時、倭軍が各地で義兵の攻撃に遭って進軍が阻まれ、徐々に南に後退しながら、多くの同胞を捕虜として日本に送ろうとした。この時宣祖の教書が伝えられ、グォン・タク将軍はこの教書を持って捕虜の親戚を装い敵陣に侵入した。倭軍数十人を倒し、捕らわれた同胞100人余りを救出した。その時、宣祖が書いたハングル教書は国家指定宝物951号に指定され、[宣祖御書閣]に奉安している。

南冥曺植 : この韓国の定型詩「詩調」は王が亡くなったという知らせを聞いて南溟先生が作った詩だ。南溟先生はワンチョンで生まれ、三十歳になった年、金海に移り住んだ。今のデドン面・ジュドン里に山海亭を作り、18年間、ひたすら学問研究と弟子の育成に専念した。彼の死後、領議政の官職とともに文貞という号を国から贈られた。

イ・ユンジェ : 1888年金海のデソン洞で生まれた。'国は亡びても国語と文が生きていれば、いつかはまた国は蘇る'Vという信念でチャン・ジヨン、チェ・ヒョンべなどとともに'V朝鮮王朝語研究会'Vを組織した。

ここで'Vハングル'Vという雑誌を休まず発行しながら、1929年、108人が力を合わせ、'V朝鮮王朝語辞典編纂委員会'Vを組織し、ハングルの辞書を作る作業を始めた。しかし日本は、ハングルの辞書の発刊を阻止しようと、イ・ユンジェをはじめ、全てのハングル学者を独立運動家と見做し、刑務所に収監した。 これが有名な'V朝鮮王朝語学会'V事件だ。イ・ユンジェはハムフン刑務所に収監中、55歳で獄死した。金海市では、彼の功績を称え、1997年から毎年10月9日、ハングルの日に、桓山イ・ユンジェ先生追慕・ハングル作文大会を開催している。