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発生と変遷

粉青沙器の発生と変遷に対しては姜京淑教授の区分を基準にする。

初期 : 1360年頃 ~ 1420年頃

初期は胎動期(1360~1390年頃)と発生期(1390~1420年頃)に分けることができる。高麗の末期、14世紀後半になると、青磁の退潮が明らかになるのだが、それまで青磁の中心生産地だった全羅南道康津と全羅北道扶安の象嵌青磁の 沙器匠(陶工)らが全国に散らばり、各地に小規模で末期の青磁窯を運営するようになる。これが粉青沙器成立と発逹の原動力になる。

中期 : 1420年頃 ~ 1480年頃

粉青沙器の特徴がはっきり表れ、各種の技法が発生、発展する時期で、これをさらに発展期(1420~1450年頃)と成熟期(1450?1480年頃)に分けることができる。この時代は韓国文化の黄金期と呼ばれる世宗大王の時代も含まれているが、粉青沙器もこの時期に大変な発展を成した。1450年頃までの象嵌粉青沙器は、さらに朝鮮的になり、器形や文様に象嵌青磁の伝統と朝鮮の新しい造形感覚が混ざり合い、さらに一歩発展する。 特に粉青沙器の特徴がはっきりとした面象嵌の発展は、新しい朝鮮的な象嵌技術の優れた成果として評価される。

後期 : 1480年頃 ~ 1540年頃

15世紀末から16世紀前半頃まで粉青沙器は衰退の道をたどるのだが、最も著しい特徴は、ギヤル(刷毛目)技法が徐々に消え、ドンボン(粉引)粉青沙器が現われて、白磁化の傾向が顯著になったということだ。ギヤルの衰退とドンボンの流行は、言わば粉青沙器が白磁に似せようという意識的な努力の結果であり、その後、全国的な白磁の生産によって粉青沙器は自ずとその存在価値を喪失していったという証拠でもある。
ところで、この時期に特記すべき事項は、鉄絵粉青沙器の大流行である。鶏竜山一帯で制作され地方色を強く帯びているが、筆で活逹に描かれた鉄画文は粉青沙器の新しい境地を開いたと言っても過言ではない。

末期 : 1540年頃 ~ 1600年頃

16世紀中葉から粉青沙器はほとんど制作されず消滅していくが、 ただ白泥のギヤル技法だけが一部、白磁に影響を与え、白磁胎土の上に白化粧を施す場合がある。ドンボン粉青沙器は、この時点まででも多少制作されたが、ドンボン粉青沙器からなる万暦15年(1587)銘墓誌片を見れば、16世紀後半まで一部の地方で粉青沙器が制作されたようだ。
時代的な趨勢として、白磁を一般的に使用する流れに伴い、粉青沙器もドンボン粉青に見られるように、白磁化の傾向を見せるが、遂には、白磁に自然に吸収されながら、1592年壬辰倭亂(文祿慶長の役)以後、粉青沙器は実質的には制作されず、終末を迎えるようになる。